第19回 国民文化祭・ふくおか2004

『古今東西まんさい大狂言祭 DAZAIFU 〜邯鄲の夢〜』

2004/11/06 太宰府政庁跡(福岡県太宰府市)





○そもそも。

狂言などまともに観たことは一度もなく、野村萬斎さんといえば「『陰陽師』で安部晴明を演じた狂言師」程度の認識しかなかった私が、なぜ今回観にいくことにしたかと言うと。
これは、狂言の神の導きとしかおもえない、ある偶然によるものなのである(何風だおい・笑)


出張で福岡県久留米市に行ったときのこと。
研修でとある美術館を訪れ、その帰り際、入り口のパンフレット棚に置いてある分厚い冊子が目に付いた。
冊子表紙の上部分に、青空を背景に「とびうめ国文祭」なる文字が書かれている。
元々、演劇だのの舞台芸能には興味はあったから、なんとなく惹かれて一冊を持ち帰ることにした。

「第19回」と書いてあるからには、一年に一度として今年で19年目になるのだろう。自分の無知は棚にあげて、「そんな『とびうめ国文祭』とか聞いたことないなあ」などとおもいつつ表紙をまじまじと見やれば。

古今東西 まんさい大狂言祭   祭主・野村萬斎

「は!? ちょっと待て、野村萬斎ってどういうことだ!?」と慌ててページを繰る。
ちょうどその頃は『陰陽師U』を何度目かに観た頃で、「あーやっぱり萬斎さんはいいなあ」などと熱があがりかけていたのである。

記載ページを読めば、開会式・閉会式と並んでの三大イベントのひとつ「大規模総合舞台事業」であるらしく、「国の特別史跡である太宰府政庁跡とその周囲の自然豊かなロケーション全体を会場として」行われるらしい。しかも、「祭主に狂言師の野村萬斎氏を迎え、参加者と一体となってストーリーが展開され」る趣向だというのだ(以上、「」内ガイドブックより抜粋)

これが行かずになるまいか!!

チケットは抽選。
くじ運など果たして人並みに備わっているのか、過去を顧みて首を傾げずにはいられなかったが、とにかく念じた。
懇切丁寧にハガキを書き、はずしたら呪ってやると言わんばかりに、晴明桔梗印であるところの五芒星を空書きし、呪までかけた(そういえば、短大のゼミ選択のときも似たようなことしてたな私)
そのかいあったのか、単に抽選になるほどの応募数ではなかったのか、めでたく参加通知書が届き、私はどうしようもなく逸る気持ちを持ったまま、当日を待つこととなったのである。




○いざ、太宰府へ。

午前7時に家をでて、一路福岡県太宰府市へと向かった。
乗り換えを繰り返して、午後12時20分に西鉄五条駅に到着。駅からは徒歩15分で『太宰府政庁跡』に到着ということだったが、駅前で待機していたイベントスタッフから臨時バスがでることを聞く。歩いて道に迷うよりは、と待つことにした。

燦々と陽射しが降りそそぐ太宰府は、雲ひとつない晴天である。ちょっと陽射しがきつくないか、と眉間に皺が寄るくらいには晴天である。青空なのは嬉しいが、野外なんだぞイベントは、と我が身の体力のなさが不安になるくらい晴天だったのだ(くどい)

同じようにバスを待っているのは年配の男女が数名。蛍光イエローのスタッフジャンパーを着ている男女が3名。
午後1時に開場ということを考えれば、まずまずの人数。というより、この時点での動員数がいまいち予想できなくて、出発を一時間早めるべきだったかといささか後悔。
「バスはすぐに来ますから」とスタッフは言うが、10分経っても来ない。「すみません、もうすぐ」と言いつつまだ来ない。こんなことなら歩けば良かったかとおもうものの、待ち時間が長くなれば、いまさら歩こうという気にもならない。日陰でぼんやりとイベントに想いを馳せつつ、バスの到着を待つ。

ようやく到着したバスに乗って向かった大宰府政庁跡は、すでに人だかりだった。
ブロック別に列ができていて、私の「西Eブロック」はそのなかでも最後尾が他と比べればわりと前のほうにはあったものの、始まりがどこからなのか見ることができない(入り口が階段になっていたため)

とにもかくにも並ばないことには話にならないと、そそくさと小走りで列の最後尾へ。
すると「東Dブロックのチケットと変えてくれませんか?」という声が前方から向かってくる。ブロックとしてはひとつ前の並びになるが(ブロックはこんな感じ)舞台からは遠くなる。さりげなく視線を逸らし、断った。

そうこうするうちに、午後1時が過ぎて開場となった。
入り口でスタッフによってブロックの確認とチケットの半券を回収されると、今回の舞台の小道具である烏帽子と水干(紙で作られたこんなの)を渡される。

ブロックごとにわけられてはいるが、野外のために座る場所は自由である。少しでも舞台に近いところにと、いそいそとシートを引いて場所を確保すると座り込んだ。
たとえブロックの一番前だったとしても、舞台ははるか遠く。
チケット自体が抽選である以上(実際に抽選だったのかは確認するべくもないが。なにしろ広い敷地とものすごい人だった。あとで聞いたところによると、参加者は6000人を越えたという)「参加できただけでもいいんだし、これ以上高望みしても……」と心の中で言い聞かせつつ、入り口で小道具と一緒に渡されたパンフレットを広げる。

すると左手のほうで、とある会話が。
「おひとりですか?」
「いいえ、友だちが」
「ああ、そうですか。もしおひとりなら、西Aブロックのチケットと代えてもらおうと思って。私も、友だちと来ているものだから」

……なんですと?
おもわず視線を向けてしまうと、綺麗ないでたちのおばさまたちと目があった。
「私、ひとりで来ています!」と心のなかで絶叫したものの、口にだせるはずもなく。私に声をかけてくれたら……とおもいながら視線をはずすものの、心中で念じるのは「私に声をかけろ、私に声をかけろ」の一点である。

すると。
「あの……」
「はい?」(がっついているように見えないよう、慎重に、そこそこの笑みを浮かべて顔をあげた、つもり)
「おひとりですか?」
「そうですけど」(はいはい、その通りです!)
「私、西Aブロックのチケットなんですけど、よかったら代えてくれませんか?」
「え……よろしいんですか?」(よろしくないとは言わせんぞ。くれ、渡せ、今すぐそれを差しだせ!)
「ええ。舞台にも近いですし、できたら」
「ありがとうございます」(断るわけないだろ!!)

どこの神の采配か、こうして私は西Eから西Aへと移動することになったのである。
ありがとう、おばさま!




○開演のベルが鳴る。

今回の演目の中心となるのは狂言『唐人相撲』(あらすじ
後日調べて知ったことなのだが、この演目は上演されるのがわりと珍しいものらしい(参照
30人を越える登場人物の多さもさることながら、その賑やかさについても、他に類を見ないとか。また、参照させてもらった「佐渡のきつね」さんの文によると、装束がそろっているのは大蔵流茂山千五郎家と和泉流野村万蔵家だけなのだそうだ。

舞台は4部構成となる。おおまかなストーリーならびに祭主(野村萬斎氏)のあいさつはこのとおり

『太宰府政庁跡』とは、「“都府楼跡”の名で親しまれている太宰府政庁跡は九州全体を治める役所太宰府があった所である。7世紀の後半から奈良・平安時代を通じて九州を治め、わが国の西の守りとして防衛を、また外国との交渉の窓口として重要な役割を果たしてきた。現在も太宰府政庁跡の中心にはその大きさをしのばせる立派な礎石が残り、そこを中心に門や回廊、そして周辺の役所跡が復原され、公園となっている」場所である(観光パンフレットから抜粋)

普段なら、だだっぴろい平地。そこに、鉄骨で舞台が組んであった。
舞台と、そこに続く道(橋がかりの代わりだろうか)に板が張られていることを除けば、一見コンサートの野外ステージと変わらない(行ったことはないが) 舞台背後には、巨大スクリーンも設置されている。
よもや能舞台が作られると思っていたわけではないが、いささか意外だったのも正直なところだ。だが、これだけの規模となると、やはり舞台も大きくしなければならないのだろう。後部の観客のために、スクリーンも必要だ。

開演を前に、客のなかには配られた衣装を自主的に着用する者がでてきた。というより、開演の30分前にもなると、着ていない者を見つけるのが難しいほどになる。互いに着せあったり、ポーズを決めて写真撮影をしたり、その模様が時折スクリーンに映しだされるのを見ながらも、私は袋からだすこともしなかった。
できれば今回の記念に、未使用のまま丁重に持ち帰りたかったのである。
だが、演出の都合上そういうわけにもいかないのもわかっている。だから、指示があるまでは絶対に着るものかと、周囲で未着用なのは私ひとりという状況が刻々と近づくなか、意地でも袋には触れなかった。

そうするうちに、ふと、何度目かになるアナウンスが流れた。
お決まりの、携帯電話や飲食に関する注意事項などのあとに、開演20分ほど前になった今回は続きがある。
「……なお、お配りいたしました烏帽子・水干につきましては、祭主より指示があるまで着用されませんようお願いいたします。また、着用されている方につきましては、お手数ですがお脱ぎくださいますようお願いいたします」とかなんとか。
会場どよめき。
あちこちから、「そんなことは最初に言えよ!」「スクリーンに映ってんだからわかるだろう!?」などとぼやきがあがるものの、どこか照れたような雰囲気が広がって、一斉に脱ぎだした。




○第一部  未来からのメッセージ

開演時刻である午後3時をいくらか過ぎたとき、舞台前方から唐突に煙があがった。
等間隔で数箇所に仕掛けられていた煙筒かららしい。観客からは期待の拍手がわきおこり、どこから登場するのかと、頭があちこちを向いて揺れ動く。
だが、煙はすぐに消えしばらくしたが変化はない。
今思えば、開演数分前の合図だったのかもしれないが、その時は「フライングか?」という雰囲気だった。

そしてしばらくして、また唐突に、舞台前方から煙が。
今度こそ開演だと、ふたたび会場から拍手がわきおこる。

スクリーンに、音楽とともに映像が映しだされた。

『時は10世紀』

今回の舞台のストーリーを理解するための前振りである。

平安時代のさる貴人は、その才覚を妬まれたがゆえか、いわれのない罪を着せられ太宰府に流刑となった。己の不遇を嘆くものの、それ以上に気にかかるのは生まれたばかりの幼い我が子である。子どもには(無論自分にもだが)なんの罪もない、だがこのままここにいても、流刑人の子となれば不憫な未来しかないだろう。そう感じた貴人は、陰陽の術を駆使して、我が子を遥か未来に送ることにした。
生きてさえいれば、いつかどこかで会えることもあるかもしれない。そんな一縷の望みを、添えた梅の一枝に託して。
赤子は10世紀から遥かな時を越え、31世紀の、とある泉の淵へと流れついた。(ここまで、古典的な絵とともに萬斎さんのナレーションによる)

通りがかった養母に拾われ大切に育てられた赤子は、やがて『博士』と呼ばれる天才科学者になる(スクリーンのなかに萬斎さん登場。会場は笑いと歓声。なにしろそのいでたちが、白衣に銀色の機械を背負っているものだから)

だが、養母が死の床に伏したとき、博士は己の出生の秘密を知った。
自分が拾われ子であることを。
養母の死を看取り、博士は己の出自を調べることを決心する。
手がかりは、拾われたときに持っていたという梅の一枝。その花びらをDNA鑑定し、それが平安時代、太宰府と呼ばれる場所に生えていた『飛梅(とびうめ)』という種類であることを突きとめる。
平安時代まで遡れば、出自を知ることができるかもしれない。そう考えた博士はタイムマシン開発にとりかかり、天才であることを証明するかのように完成させる。(とびうめ国文祭マスコットキャラクターである『飛梅丸』をメカ化してある。もちろん、実物ではなくイラスト)

だがこのタイムマシン、問題がひとつだけあった。いかんせん燃料不足で、一度に1000年の時しか遡れないのである。しかも、遡った先での滞在時間は一時間あまり。これでは、たとえ行き着けたとしても情報など集められるわけがない。
そこで博士は、一度立ち寄らざるを得ない21世紀のことを調べることにした。
すると、2004年の11月。太宰府で大規模なイベントがあり、数千人の人々が集まったらしい(ナレーションに会場笑い) その人々の熱気をエネルギー変換することができれば、さらに1000年を遡れるかもしれない。
博士はさっそくタイムマシン『飛梅丸』に乗り込み、31世紀から21世紀へと向かった。

ちなみに、この映像のバックに流れていた音楽は『パイレーツ・オブ・カリビアン』と『ロード・オブ・ザ・リング』のサントラ。CGの豊富な映像とあわさって、非常に格好よい出来あがりだった。




○第二部  平成時代の太宰府政庁跡

スクリーンで西暦がカウントされ、31世紀からどんどん2004年に近づいてくる。
舞台の前方から白煙。さらに火花があがる。大きな拍手が鳴るなか、昇降式になっていたらしい舞台中央から、白衣をまとった萬斎さんが『考える人』のようなポーズ(片膝をつき、左手を額にあてている)で登場。
途端に割れんばかりの歓声と、衣装に対するものか笑い声があがる。感激の悲鳴が聞こえなかったのが不思議なくらい、一気に会場の熱があがった。

「ここが21世紀か……」と舞台から道へと歩いてくる萬斎さん。
私からは左前方にあたる1列目に座っていた女の子たちが、両手をあげて「きゃーっ!!」と悲鳴。気持ちはわかるがアイドルのコンサートじゃないんだからと思っていれば、案の定、萬斎さんもその手の反応は苦手なのか、会場に巡らした視線からはさりげなくその子たちをはずしていた。
その後も、萬斎さんが視線を巡らすたびにその子たちは手を振っていたが(さすがに本舞台の最中はしていなかったが)おそらく一度も萬斎さんはそこに視線はあわさなかったのではないだろうか。

ブロックを変わっていただいたおかげで、私の位置は、道に向かって前から3列目になっていた。全員を座らせるため、詰めるようにと再三指示があったおかげで前列とほとんど隙間なく密着し、道に立った萬斎さんとは何度も目があった、素晴らしい場所だった。かえすがえすも、チケットを代えてくださったおばさまには感謝しきりである。

芝居がかった口調で登場した萬斎さんは、すぐに博士から“祭主”野村萬斎へと変わり普通の喋りで、今回の舞台の主旨を説明する。(以降、「」内の萬斎さんの台詞はうろ覚えなので、あしからず)

「今日は晴天に恵まれましたね。私は『嵐を呼ぶ男』と呼ばれたりするんですが。でも西日がちょっときついかな」
「お配りした烏帽子・水干は舞台を演出する小道具です。……早々に着ていただいた方もいらっしゃったようですけれども、演出の都合というのもありますので脱いでいただきました。お手数をおかけしまして」
などというコメントには会場笑い。

一通りの挨拶が済んだところで、本題のタイムトラベルに。
足りないパワーを埋めるための呪文(文言)を教えます、と萬斎さん。
「では衣装を着ていだきます。帽子をかぶっていらっしゃる方もいますが、烏帽子は帽子のうえからでも構いませんので。……まだですか? 早くしてください(笑)」
全員が衣装をつけると、ブロック別に三色にわかれて見事な眺めだ。
「では、呪文をお教えします。りぴーと・あふたー・みーですよ(笑) まずは、赤い衣装の方々。呪文はこうです。『赤は紅梅』 言ってみてください」
東西ABブロック全員で、萬斎さんの口調を真似て『赤は紅梅』とりぴーと・あふたー・ひー(笑)
「いいですね。では次は白の衣装の方々。『白は白梅』 はい、どうぞ」
東西CDブロックが『白は白梅』
さて、ここで問題は残されたピンクの衣装の方々である。
なんと称するか、と会場が期待をするなか。
「ピンクの方々は、こうです。『ピンクはなんじゃ』」
どっと笑いがあがる。
「……なんじゃってなんでしょうね(笑) まあとにかく、言ってみてください」
東西EFブロックが『ピンクはなんじゃ』
「それで、最後に全員で『なんじゃいな』と言います。いいですか? 練習してみますよ。まずは赤。『赤は紅梅』……」

『赤は紅梅 白は白梅 ピンクはなんじゃ なんじゃいな』

という呪文を何度か練習したところで、萬斎さん満足げにコメント。

「ばりうま(笑)」

しかし、これだけで終わらないのが萬斎さんである。
「呪文ですが。ただ座ったままで言えると思っていたら甘いです。そんな訳がありません。ウェーブをしてもらいます。(萬斎さん、一度しゃがんで『赤は紅梅』と言いながら両手をあげて立ち上がりまたしゃがむ)……ウェーブというより、スクワットですね(にやり)」
失笑する会場に、萬斎さんはさらりと「それが狂言の基本です」

「リズムがありますので、それにあわせてしてもらいます。リズムは段々と早くなりますから、遅れずについてきてくださいよ(笑) 明日の朝がつらくなるかもしれませんが、頑張ってください」
萬斎さんに招かれて、打楽器奏者の方々が登場。観客と同じ、それぞれ紅白ピンクの烏帽子・水干姿。
「みなさんだけに着せるというのもなんですので、彼らにも着てもらいました(笑)」
照れながら礼をする打楽器奏者の方々。
彼らの伴奏にあわせての練習。リズミカルな音楽は乗りやすいけれど、いかんせん体力がない。それでも、こういった会場独特の熱気に動かされるようにして、ウェーブという名のスクワット運動を繰り返す(笑)
萬斎さんも一緒になって、呪文を唱えながらよいやよいやと手を振りあげる。

「では、これをそのまま本番でしてもらいます。この出来がよければ平安時代に遡れることができますから、どうぞよろしくお願いします。私が盛り上がってきたなと思ったら、タイムマシンに乗り込みますので、勝手にやめないように(笑)」

全員がしゃがみこみ、打楽器のリズムにあわせて赤衣装から順番に『赤は紅梅』……とウェーブが続く。
立ち上がったときに、道を挟んだ向こう側、東ブロックを見ることができるのだが、それはそれは壮観である。舞台しか見ておらず、背後を確認すれば似たようなものだったのだろうが、こんなにも人がいたのかと驚いた。

段々リズムが早くなり、スクワットも6回目ほどになりウェーブにややばらつきがでてきたところで(笑)萬斎さんは博士に戻って身を翻し舞台中央へ。
「みなさんのおかげでタイムマシンのエネルギーが集まったようです。ありがとうございます。それでは、またいつかお会いしましょう!」
音楽がとまり、へなへなとしゃがみこむ観客もいるなか、萬斎さんは最初の『考える人』もどきのポーズをとると、舞台中央部分が下がり消えていった。




○平安時代の太宰府政庁

スクリーンはふたたび西暦をカウントしだす。
けれど、やはりエネルギーが足りなかったのか、そもそも元々のつくりがそれほど丈夫ではなかったのか、西暦表示機は段々と破壊され、最終的な年号が表示されないままに消滅。

訪れる静寂。

舞台後方の壁から、萬斎さん登場。
身に纏うのは、紫の袴に白の狩衣、黒の立烏帽子。そのいでたちはまさしく陰陽師!
「おお、これはまさしく平安時代。ほら、烏帽子をつけた人がこんなに……(笑) みなさんの協力のおかげで無事これました。どうもありがとうございます……って、同じ人に話してるみたいだな」(会場笑い)

そこに、道の向こうから中国風の衣装を纏った男が登場。
男は、唐人の通辞(通訳)だと名乗る。

本来の『唐人相撲』は、中国に滞在している日本人相撲取りが国に帰りたいと願い、それを承諾させる為に相撲をとる、という内容だが、今回の舞台ではアレンジされて逆になっている。
唐の国から訪れている皇帝が、帰る間際にぜひとも唐人対日本人で相撲をとるところをみたい。日本人の相撲取りを探してこい、と通辞に命じた、ということであるらしい。
博士を見つけた通辞は、「唐人相撲を行うが、日本人がいない。貴方はどうか」と問うが、博士は「私が相撲? こんなにスマートなのに?」(会場笑い)と困惑する。一度は断ろうとするが、だが唐人相撲というおおきな催しがあれば、見物人のなかに父親らしき人がいるかもしれない、と思い直して承諾。
では準備を、と喜ぶ通辞に言われて、博士は着替える為に舞台裏へ。

このあたりだったか、承諾の会話をする前だったか記憶が前後しているが、通辞も舞台説明のため普段の石田さんに。
狂言『唐人相撲』では、相撲をはやし立てるときの型がでてくる。それを、観客にも一緒になってしてもらいたい、とのこと。
そのはやし言葉とは。

「ホーチャー!」

間抜けといえば間抜けな言葉に、会場どよめき。
「これに手もつけてもらって、ホーチャー!(ばんざい)です。でもいつでもやってもらうと舞台が台無しですから、役者が舞台上で『ホーチャー!』ってしたときにだけ、やってください。いいですね、足手まといにならないでくださいよ(笑)」

そのうちに、唐人行列登場。楽士・文官・武官などのあとに、皇帝陛下が登場。緑地に金模様の袴、金の唐風衣装、白くて長いお髭。
野村万作さんの姿に、会場はひときわ大きな拍手と歓声で迎える。
エセ中国語(その時は知らなかったので一生懸命聞き取ろうと耳をすましてみたが、まるっきりでたらめに作られている言葉らしい。狂言『魚説法』のように、なにかをもじっているのかともおもったのだ)で通辞と会話を交わし、日本人相撲取りが見つかったことを喜ぶ。
さあでは相撲を、と皇帝が命じ、通辞が呼ぶと、いつもの狂言衣装(茶と白の格子模様の着物、袴は黒地に白で紋の染め抜き)で萬斎さん登場。

では、いざ尋常に、勝負!

となるが、この日本人相撲取り。話にならないほど強い。
次々とでてくる皇帝の臣下をこれでもかというくらい叩きのめしていくのだが、その手が奇抜なものばかり。
特に挑む側の唐人たちは、飛ぶ・跳ねる・側転・バック転とアクロバティックな動きが多い。
唐人たちが技を決める(もちろん勝負では負けているのだが)たびに、会場から拍手が。連続バック転には、さすがに関心した。舞台から落ちやしないかと不安になるほど回っていた(笑)
負けじと(なんの勝負だ)萬斎さんもアクロバティックな動きを披露。
2対1の勝負で、日本人相撲取りは唐人たちに後ろ向きに両腕を掴まれ捕らえられてしまう。そのまま舞台端に連れて行かれようとするのを、えいや、と彼らの背のうえでくるりと回り、唐人たちの前方に着地。そのまま唐人たちを突き飛ばして勝利(描けるものならイラストで紹介したい) 会場、歓声と拍手の渦。
その後も、唐人たちは3段のピラミッド(組体操)をつくるとその体勢で日本人相撲取りに挑むが(ここでも会場拍手。まさか、ピラミッドで動けるとは思わなかった)だん、と床を鳴らされてその衝撃で崩れ落ちたり、全員で一列に連なって挑むものの、片手の一押しで倒され、その後はムカデよろしく組まされていいように操られたり(ああイラストが描ければ!)

とにかく日本人相撲取りの圧勝なのを見てとって、とうとう皇帝自らが相手になると言いだす。
唐人たちの歌と楽にあわせて舞いつつ、相撲をとるためにに豪奢な装束を脱ぎ捨てるが、しかし玉体に直接手を触れさせるわけにもいかない。そこで、鎧のような(あらこも、というらしい)ものを身につけるのだが、この動きがまたコミカルでおもしろい。

皇帝の準備が整ったところで、取り組み。だが、これにも当然ながら日本人が勝利してしまう。皇帝が負けるとあってはならないと(いうのかなんのか。私はそう解釈したのだが)唐人たちは皇帝を抱きあげ手車に乗せ、傘をさしかけて、威厳を見せつつ退場。

萬斎さんも一緒に退場(これで狂言『唐人相撲』は仕舞い、ということ)

ややあって、白衣に着替えた萬斎さん(というか、おそらく会場のほとんどが忘れかけていただろうが“博士”だ。本来の目的は相撲じゃなく父親探しだった)再登場。
するとスクリーンに貴人(平安衣装の萬斎さん2役)の姿が映しだされる。
「そなたは何者だ」と問われ、「科学者です」と答える博士。
「はて、科学者とはなにか」との問いに、「まあ、天の理を知る、天文博士のようなものです」と返答。
「では、我と同じだな」と貴人。
博士は、自分が父親を探してこの時代にやってきたこと、自分が拾われたときのことを説明する。すると貴人は、その父とはまさしく自分であると言う。
親子であることを知り、博士は感極まって、「あなたが、お父さん」と呼びかける。(が、ここで会場はちいさく笑いを発する。思うに、博士は31世紀の人間であり、父親の呼称が『お父さん』であるのは不自然ではないのだが、平安時代に心が遡っていた我々観客は、てっきり『父上』と呼びかけるものと思っていたのだ。そこで『お父さん』なものだから、違和感を覚えたのだろう)

和歌を読み交わし、心を伝える父と子。
やがて刻限が迫り(これも忘れかけていたが、滞在時間は1時間だった)ふたたび別れのときが。
またいつか、という博士に、もう会うことはしなくてよい、という貴人。そなたはそなたの時代でしっかりと生きてゆけ、と言い残し、貴人の姿が遠ざかる。
スクリーンにはいくつもの雷光が走り、タイムマシンがエネルギーを蓄えていることを教える。
父親を追うように舞台中央に向かった博士は、だが引き止めることはできないと諦め、31世紀に戻ることに。
『考える人』もどきポーズで、博士退場。




○第四部  現代への帰還

雷をエネルギー源として、博士は無事に31世紀へと帰還。
スクリーンには博士姿の萬斎さんが映しだされる。
「みなさまのおかげで無事に父親に会い、そして31世紀へと戻ることが出来ました。本当に感謝しています」
と礼を述べたあと、
「おや、あなたがたはまだ平安時代にいるのですか? 戻り方がかわらない? 簡単ですよ。脱げばいいんです(にやり)」

スクリーンのなかで、博士は平安朝の自分(なのか貴人なのか)とともに光の彼方へ。
音楽が大きくなり(パイレーツのサントラだった)、画面にエンディングテロップが流れたことで、会場から一斉に拍手が。

なかなか鳴りやまないまま、場内アナウンスが舞台の終了を告げたのだった。




○きっかけはここから。

『陰陽師』で萬斎さんの演じる姿を見て、NHK番組『にほんごであそぼ』でほんのわずかばかり触れ、狂言というものに多少の興味は抱いていた。
そして、今回の舞台で『唐人相撲』を見て、狂言のおもしろさをわかるようになりたい、と心底おもったのである。
もちろん、元々笑いの舞台ではあるから、その動きだけを見ても充分におもしろおかしく笑うことはできる。
だが、その舞台の背景やうんちくを知っていれば(過剰な知識はかえって妨げになるだろうが)楽しさが増すことも確かだろう。
狂言『唐人相撲』に対して、私はなんら前知識を持っていなかった。
上演頻度の低さ、でたらめ中国語のなかに散りばめられた笑い、そんなことを知っていれば、また舞台を見る目が違ったのかもしれないと悔しかったのだから、仕方がない。

日本人でありながら、これまで日本が誇る伝統芸能である狂言に、しっかりと目を向けてはいなかった。
知りたい、観たい、とおもわせてくれる舞台に出会えた偶然と、その舞台を作りあげた萬斎さん、『万作の会』の方々には心から感謝したい。

いつかはぜひ、能楽堂で正装して観てみたいものである。
それまでに少しずつ狂言の世界を知っていこう、とおもいながら、太宰府政庁跡をあとにした。