ページ指定:[ 1 / ]


画像タイトル:img20190418125302.jpg -(Diet 561 KB→223 KB)

56回目の慰霊祭 まるちゃん [2019/04/18,12:53:02] No.261
奄美新聞より

【徳之島】太平洋戦争末期の1944(昭和19)年6月29日、米潜水艦に撃沈された輸送船富山丸の第56回戦没者慰霊祭が17日午後、慰霊碑のある徳之島町亀徳「なごみの岬公園」であった。関東地区および7県の遺族ら参拝団70人と地元関係者合わせ約120人が参加。鎮魂の祈りを捧げ、戦争の悲惨さ平和の尊さを「令和」世代に語り継ぐ決意も示した。

 富山丸(7500d級)は、沖縄への増援部隊と燃料など物資を満載して同町亀徳沖約3`を航行中、魚雷攻撃を受けて轟沈し、流出した大量のガソリンドラム缶にも引火。過密状態で乗船中の旅団将兵をはじめ船員・船砲隊員など計3724人が船を運命を共にし、海上に逃れた人々は火炎地獄の犠牲となった。船舶では、タイタニック号や翌年の戦艦大和(旧第2艦隊)と並ぶ第1級の惨事とされる。

 慰霊祭には関東地区をはじめ高知・徳島・香川・愛媛・大分・宮崎・鹿児島7県の子や孫世代の遺族らが来島。船舶利用者たちは、船会社側の配慮で亀徳沖を旋回して洋上慰霊祭も。午後2時から慰霊祭に臨んだ。

 慰霊祭を支え続ける徳之島町の高岡秀規町長は祭祀(し)で「今後も各県の遺族会と力を合わせ、平和で豊かな日本、世界を築くことを誓います」。遺族会参拝団長の杉田明傑(めいけつ)さん(78)=千葉県=も慰霊のことばで「今日の平和と繁栄は、英霊の皆さまの尊い犠牲の上にあることを忘れない。不透明な内外情勢の中、英知を持ってこの平和を子孫に伝えることが私たちの務め」と述べた。

 各県遺族団の一人一人が献花し、詩吟にも託すなど各代表が追悼のことば。「人(将兵)を詰め込みガソリンドラム缶と一緒に運んだ富山丸もそうだが、日本ほど兵士を粗末にした軍隊はない。あの戦争を忘れず、平和な国であり続けるよう頑張るのが遺児の責任」とのアピールも。

 生還者の1人で同慰霊碑建立と全国遺族会育ての親の三角光雄氏(故人)の顕彰祭もあった。


[返信しないで戻る]